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新卒社長日記vol.6「『弱さを受け止め、自分と誰かの幸せを願い、自分の「信じたい」理想のために戦う人』として生きてほしい。」

1か月半ほど間が空いてしまいましたが、久しぶりの更新です。弊社も内定者が増えたり、学生さんの相談に乗ることもあったりする中で改めて自分の想いに立ち返るシーンが増えたので、5年目くらいの時に働く目的を磨き直した文章が出てきたので共有します。

自分自身は、毎年自分史を追記して、働く目的を磨き上げる習慣を持っていますが、特にしっかりと深めたときのものになります。やはり文章に残すは大事ですね。


期待へ受動的な八方美人な自分から、理想に挑む自分へ

「他者の期待をまずはしり、それに答えていたら嫌われない。」

「自分がこうあってほしいと思ってしまったら、人に腹が立つから期待をしない。」

「本当の自分は見せたら嫌われる。」

 こんなことを高校生までは考えていた八方美人な自分だった。幼少期のふとした両親の喧嘩はよく記憶に残る。母親が泣く姿をみて自分が守らないと、いい子でいようと強く思って育った。親からもテストで満点を取っても、「勉強がすべてではない」など隙を指摘されることのほうが多く、気づけば意志を持つことをやめ、人の期待を知ってから行動を決める。八方美人そのものになっていた。

でもそんな自分は嫌いではなかった。

別け隔てなく誰とでも仲良く慣れるし友達は多いし、それが誇らしかった。 

ただ、高校生ではじめたバレーボール。ほとんどが経験者で、自分は未経験者。顧問は厳しく、パイプ椅子を投げつけられたり、暴言は日常的に受けていた。しかし、友達をなくすことを恐れている自分にやめるという選択肢はなく、ただただ仲間に迷惑をかけないように食らいつき続けた。

そしたらエースになっていた。正しく言えば「エースになってしまった」という感覚だった。

仲間の足を引っ張らないように頑張る自分には、仲間の価値を背負う覚悟なんてなくて、自分のせいで負けるのが、嫌われるのが嫌だった。

そこからは苦痛の日々が始まる。

「エースなのに」と日々仲間から言われる。仲の良かったキャプテンからは3スクロール分のエースとして足りないところが記載されたメールが届く。

「なんでみんな俺のことを助けてくれないんだ。」

と思い始め、友達の数は多いだけでいざ弱さを見せれる相手がいないことに気づいてしまった。仮初の友達しかいなくて自分は孤独なんだと思ってしまった。ただただ日々耐えるだけでそのまま3年の引退をかけた試合を迎えてしまう。

勝ったら目標の県大会出場、負けたら引退で県ベスト8のチームにあたってしまう。

1セット目は12-25で大敗。

レギュラーメンバーは、俺以外半泣き。

「まだ負けてないのになに泣いてるんだ?」

と思ったけど、同時に「こいつらは負けたら泣くけど、俺は泣かないだろうな。」と思ったときに気づいてしまった。

【俺だけだ、このチームで勝ちたいと思えてないの。】

 気づいた瞬間にいろんなことがつながっていった。「もちろん負けたいわけはじゃない。これは、俺のせいで負けたくないと思ってるだけだ。 だから勝ちのために自分がリスクを背負えない。」

「俺だけが俺をエースと受け止めてない。みんなは俺をエースとして受け入れて、向き合ってくれてたからこそあんなに言葉を伝えてくれてるんだ。俺は孤独とか被害者面してたけど、俺が彼らと向き合おうとしてなかっただけじゃないか。誰よりも足を引っ張ってたのは俺だ。」

 だからこそ「いまここで負けたら一生彼らに顔向けできない。なんとしても彼らに謝罪をする期間がいる。引退するわけにはいかない。」と勝つために何ができるか全部考えた。

今心がおれてないのは自分だけだからこそ普段と違う俺でチームを鼓舞したら空気が変わるかもしれない。気づけば 全力で打ち込み、仲間に向かって叫んでいた。

結果は、接戦の末逆転勝利。

劇的だった。勝った瞬間マネージャーもベンチの選手も、入ったばかりの後輩も、当然レギュラーも泣いていた。

「あー、こういう瞬間に溢れてほしい。」

罪を返すのではなく、彼らにこういう瞬間を引退までにひとつでも共有してこんな俺を見放さなかった仲間に恩を返そう。それが彼らと自分を幸せにすると信じたい。深い繋がりを生み出すと信じたい。心から自分と仲間のために意思を持てた瞬間だった。これまで勝てなかったチームに練習試合で圧勝したりと、それまでの期間は信じられないほど楽しかった。


強がりリーダーから弱さも受け止められるリーダーへ

顧問に怒られようが失敗しようがどうでもよくて、ただあの勝ちの瞬間を夢見てがむしゃらだった。だからこそ、引退の時すごく後悔をした。

「なんで早く気づかなかったんだ。理想に挑む勇気を持たなかったんだ。」

「こんことでもう後悔したくない。大学ではやりたいという自分の気持ちを絶対に大切にする。」

そう思って大学では学祭、留学支援、就活支援のリーダー・代表をしていた。でもまた一人になっていた。一人で戦うようになっていた。メンバーに求められず、1人で抱え込んで戦ってしまったこともあった。合理的に正しさを突きつけ続けて怒鳴り散らして関係性を壊してしまったこともあった。ただただリーダーの自分が強くないと高校の時の瞬間は来ないと自分は弱さを、本音を隠して、強くあろうとし続けた。

でも気づいたら、人の弱さを受け止められない、自分の弱さを受け止められない、ビジョンもなく目の前のやるべきだけに終始するやつになってた。そしてまた思ってたんだ。

【俺こんなに頑張ってるのに。なんで誰も助けてくれないんだ】って。

でも結果は上々だったからこそ自分は自尊心を自分で保っていた。「自分は頑張っている。ちゃんと挑戦をしている。」と。そんな弱い自分を突き付けられる。

リンク・アイのキャリアアドバイザーに自分の人生を伝えて、「意思なく生きていて、無駄な人生を送っている。」とすがすがしいほど一蹴され、  留学時にはブラジル人に「未来に意思も持たず、命を無駄遣いしている」と言われた。

苦痛だった。受け止めたくなかった。

でも不思議と隠している弱い自分に触れてくれたことに感謝をしたくなってしまっていたんだ。自分が認められない弱い自分の存在を認知されたことに救われた感覚をもったんだ。弱い自分を見せたら嫌われると思ったけど、不思議とそれに気づいた人ほど何言ってもまっすぐ向き合ってくれるし、いざというときに頼りたくなる。

弱さというのが必ずしも悪いものじゃないのかもしれない。だれかと誰かがつながるのは弱さがあるからかもしれない。


弱さを受け止め、理想に挑む個人を増やす挑戦へ

そんなことにうっすら気づいたころ、就活支援団体で多くの学生が自分の弱さを隠して、強く見せようと躍起になっているのを目の当たりにする。

「ああ。自分と同じなのかもしれない。」

きっとこの人たちはこのままいくと「社会では弱いことがばれると淘汰されてしまう」と思って必死に弱い自分を隠して一人で強がって生きていくんだろうな。気づけばいろんな人の相談に乗っていた。

この人たちに弱さを見せる勇気を、弱い自分を大切にする勇気を与えていきたいと思った。

弱さを隠す生き方はつらいと俺は知っている。自分がその弱さを持っているからこそ。きっと誰しも弱い自分を隠さないと思いながら、どこかで孤独を感じて誰かとつながることを求めながら、強がって生きてるんだろう。

でも弱さから自分も目を背けて無視する中で、自分のことしか考えられなくて一人になっていき、誰も自分を助けてくれないと被害者になっていくことを知っている。

でも俺は弱さを受け止めて変わった経験がある。弱い自分を隠し、自分を守り、自ら仲間と向き合えなくなった経験と、仲間を思い、失敗を恐れず戦った幸せな日々を。弱い自分を突き付けられて、自分だけじゃないと気付けて、その弱さの痛みに苦しむ人のためになりたいと、自分の弱さを生かして誰かに必死に向き合って、自分が救われる経験を。

だからこそ自分は、自分を強く見せて自分を守るために働こうとする人たちに、弱さを大切にして自分と誰かのために理想と戦う自分らしい人を増やそうとリンク・アイに決めた。


誰よりも俺自身が自分らしいやつになるために働く。でもそう簡単に人って変わんなくて、弱さを大切にできなかった。俺は2年目で拠点長になり、メンバーを持ったけど、メンバーを苦しませてしまった。

メンバーの弱さを大切にしてあげられなかった。

自分の弱さに蓋をしたせいで強さを自分だけでなくメンバーに求めてしまった。メンバーの弱さからくる誰かの幸せを願う気持ちを受容するより、会社として守るべき数字を優先してしまった。

結果メンバーに自身の弱さを否定させてしまい、弱さから目を背けて強がって一人で戦わさせてしまった。学生の幸せの前に仲間の幸せすら願えなかった。今思えばそれまでは学生の幸せも願えていなかったのかもしれない。表層的な情報に、表層的な会社の言葉にすがってしかいなかったのかもしれない。どこか人の気持ちが一定わかると思っていた自分を強く否定して見直した。

弱さを愛し、「信じたい」理想に誰かと生きる生き方を。

そこからは、みんなの弱さを受け止め、その人なりの幸せになるための理想の生き方を考えようと決めた。

人はそう簡単に変われないんだから強く長く影響を与えられるような人になろう。自分に言い聞かせて人と向き合った。 そう思っていく中で向き合い方の変化からか自社のリクルーターの中で一番人数を導いた人になっていた。

どうなるかわからない未来に、自分のつらい過去ともちゃんと真正面から向き合って高い理想のために意思決定をしてくれた。その怖さを自分も背負い、誰一人孤独にせず、一緒に怖さを背負って意思決定をしたと胸張れる。

そんな経験も通して、誰かに弱さを見せたら嫌われると思っている彼らを自分が「そんなことないよ」 と弱さを受け止めることを大切にしている。それが彼らが弱さを受け止め、等身大の自分を持つ勇気を与えると信じているから。

俺が目の前の人の弱さを受け止めよう。その弱さを受け止めた先に今を変える強い力がわくと俺は信じているから、俺は人の弱さを大切にしようと決めている。

それでその人が誰かの弱さのために生きてくれたら、きっと世の中は優しさや恩の連鎖が生まれていくと信じている。そんな優しさの連鎖で世の中が変わるなんていうきれいごとみたいな世界を俺は信じたいから、人と向き合っている。

だから、誰にも自分の弱さを隠して、自分を守るために生きてほしくないと思っている。それはきっといつか孤独に、自分に存在価値を感じなくなってしまう生き方だから。弱い自分と向き合うのはつらいことだし、その自分を人に見せるのは勇気のいることだと思う。それはいやってほど俺は知っている。でも、それでも

弱さを受け止め、未来に、誰かに思いを馳せ、「~な生き方の中に幸せがある」という自分だけの「信じたい」気持ちを大切にし、「信じると決めて」自分と誰かのために理想と戦う生き方の中に本当の人とのつながりと自分らしさが出来上がっていき、幸せになっていくと俺は信じたい。

ただあくまでも「幸せになれると信じたい」という欲求でしかない。幸せになれる確証がないからこそ怖い。これで幸せになれると約束をしてほしい。確証がないのに誰かにその道を示すのが怖い。どこまでいっても不安はなくならない。だれも未来は保証してくれないから。

俺だってまだまだ信じたいと思っているだけで、信じられると確信を持ててない。でも過去の俺の弱さがあったから今誰かの弱さを大切にできているし、それで誰かに勇気を与えられている事実の中で就活生のときよりは確信を持ち始めている。

自分がこの道を選んでいることを肯定するためにも、これまで多くの人を巻き込んでしまってきたから責任から自分の信じたい気持ちは確信にしないといけないという気持ちは日に日に大きくなっている。社会人の俺ですらそうだから、きっとまだ働いたことのない学生さんにとってはどこまでも「信じたい」気持ちでの意思決定にしかならないと思う。

でも、そんなもんだと思う。

信じられるものを探したらきっと誰か経験豊富な人の声や多数派の声を信じると決めることになる。それが必ずしも悪いわけではない。でも俺は、自分の弱さに胸張って生きて、誰かを助け、その中で本当の強さを身に着けて、死ぬときに「自分の人生は、自分にしか生きられなかったな」と思いながら死ねるように、自分の弱さを受け止めた先にある「信じたい」理想を大切に、自分と誰かを幸せにするために生きてほしい。

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